2009年12月21日

再び生存報告&アジアの指導者バッジ

お久しぶりです皆様。
またもや半年振りぐらいの更新、
やる気まるっきり無いのが丸わかりである。
すっかり忘れ去られてると思うこのブログだが
中の人はこの通り例によって生きているので、気が向けば更新するのである。

ただ生存報告だけでもアレなので、
思いっきりアレなバッジを今日は載せるだけにしておく。

世界の色んな国で、その国の指導者というのは
国の象徴となったりあるいは崇拝対象となったりしているのであるが
やはり指導者の顔入りのバッジというのは
いずれにしても基本アイテムであると思う。
まぁ・・・国によってその体裁とか、扱いとか色々違いはあるけど。

ただ特にアジア共産圏のその類のバッジというのは
我々の眼から見ると大分特異な存在であることが多い。
毛像章こと毛沢東バッジであれ、肖像徽章こと金日成バッジであれ。
・・・ヨーロッパ共産圏って、案外ないでしょそういうの。

最初に紹介するのはカンボジア。
正確には資本主義の時代、共産主義の時代を経て
ベトナムの傀儡政権を経て
さらにそれら旧勢力らのごった煮三派勢力の内戦を経て現在に至るのだが
まぁ独立の父でもあるけどその後クーデターで実質追放されたり
共産主義勢力についたり中国に逃げたり色々やらかしたが
なんだかんだでカンボジア(前)国王の、
シハヌークのバッジなるものがカンボジアには存在する。
ちなみにベトナム傀儡時期のカンボジア軍の軍装に関してはそのうち紹介したいと思う。



アルミ製の台座に印刷した紙?を樹脂か透明塗料で挟み込んでいる。
出来に関しては大分適当な品で実は下のほうは最初から曲がってヒビが入っているオチ。
でもまぁ・・・こんなもんだろうな。
ストライプカラーはカンボジア国旗カラーで、
クメール文字はよくわからず。名前でも書いてあるのかな?
このほか色々な形式のシハヌークバッジがあるのだが
普通に円形だったり、アンコールワットがついていたり
「旗型で、カンボジア国旗の真ん中に円形くり抜きで肖像が入っている」という
どう考えてもデザイン的にそれは、アレだろうという物も存在する。
写真のバッジは割とよく見かける物で、政府高官や軍の幹部連中などもつけている事がある。
ちなみにシハヌーク自体は中国と北朝鮮が大好きなお方なので、
その辺りのバッジのインスピレーションをモロ受けている。

次はラオス。
ラオスもベトナムと同じく数少ない共産国の一つなのであるが
いまいちパッとしないと思う。イメージであるとしても
田んぼとか、タイの田舎っぽいとか、そんなぐらいだろう。
でも一応そんな国でもベトナム戦争に巻き込まれた国であり、
一応革命を成し遂げている国でもあるのだ。



カイソーン書記長のバッジ。
わからなければもうググってウィキペってくれ(ぉ
つっても日本語ウィキペディアではロクな記事で紹介してないのだが・・・。
自分でもめんどくさくて説明は省くのだが
このバッジ、鋭い勘を持っている人ならば何かに気づくと思うのだが

このバッジの製法
似たもの(というかほぼ同じもの)見たことないか?

そう、


このバッジ自体そもそも


北朝鮮製なのである。
写真で見て疑っていたのだがひっくり返して納得、
そもそも似てるも何も北朝鮮で製造しているものだったのだ。
おそらくラオス製もあるにはあるのだろうけど・・・
最も、どうも他の国の指導者のバッジでも
同様に北朝鮮製の物はあるらしい。

ちなみにラオスの首都のビエンチャンには
カイソーン記念館というのがあるのだが、その記念館の前には
非常にどこかで見覚えのある銅像その他もあるので
気になる人は「ラオス 万寿台」などでググると良いと思う。

そして我がブログである以上ここを外す訳にはいかないので


トルクメニスタン。
トルクメンバシことサパルムラト・ニヤゾフ故大統領である。
こっちはまぁ肖像バッジ系というよりは単純なるピンバッジに近いのだが。
時計はおまけ、どうもトルクメンバシの大統領就任21周年記念らしい。
多分ソ連時代のトルクメン・ソヴィエト書記長の時から起算してるのだと思う。
時計自体はロシア製、パッケージの台紙がトルクメン国旗カラーなのがステキアイテムだ。

一通り適当に紹介した後にしかも自分で突っ込むのもあれなのだが、
・・・これ、ミリブロなのか?
まぁまた気が向いたら次のネタを投下すると思う。  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 21:17Comments(0)TrackBack(0)雑記

2008年09月25日

アフガニスタンの軍服

暫く多忙になりそうで、こちらの更新がまたストップしそうである。
まぁ元から三日坊主なので多忙だろうが暇だろうが
こちらの更新が適当なのには特に関係ないといえばそうなのだけど。

今日はまた趣向をいきなり変えて、
最近手に入れたアフガニスタンの軍服を紹介。

正直なところ詳細は不明なのだが、
アフガニスタンに派遣されたアメリカ海兵隊員の持ち帰り品との事。
恐らくナジブラ政権時代の軍装を継いだ北部同盟の軍閥の軍服か、
現カルザイ政権軍の初期軍装であると思われる。
少なくてもソ連侵攻時/ナジブラ政権
(社会主義政権、タリバン政権前。)のものではないと思う。


上着。
生地は先にも述べた通りに綿生地であるのだが
かなりの厚い生地で、ややウールに近い雰囲気をもった生地である。
写真からは綿生地にはあまり見えないと思う。
もしウールとしても米軍のウールシャツのような非常に薄いウールである。
ナジブラ時代などではゴワゴワしたチクチクしそうなウール製が多く見られ、
現カルザイ政権・王国時代の軍装でも似たようなウール製軍服が見られたが
綿製の軍服もいずれの時期に見られた。

服全体の縫製は悪く、家庭用ミシンで製作したような感じもする。
ズボンも裾上げ加工がされているが裾をミシンで本当に真っ直ぐ縫い付けただけである。
襟回りの裁断などは恐らく日本製品ではありえない裁断になっている。
タグはついているが印字されているものは消えている。
実は他のアラブ諸国の軍服である事も疑ったが
正味のところ区別が付かないし(w)、手持ちのイラク軍の軍服などに比べると
縫製の未熟さ、いい加減さ、そして綿生地であるが厚地である事を考えると
ある程度きちんとした縫製能力があり、
尚且つ、比較的薄地が主な中東の軍服ではないと思われる。


左袖についているペン差し。
ナジブラ時代の軍装だと袖部分にポケットがついているタイプが
主に将校用の軍服として使用されていた。
(ナジブラ大統領当人も同じタイプの軍服を着用している)
この軍服の時代が特定できないが、もしかすればこれも将校用なのかもしれない。


個人的に「イスラムポケット」と名付けている(笑)
ポケットの蓋が異様に長くて大きい形状のポケット。
イラク軍やシリア軍などの軍服、或いはアフリカの軍服でも
このような形状のポケットをよく見るが何故こんななのだろう?


ズボン。
裾のベルトループは英軍式である。
これらもイラク軍など中東の軍服、インド・パキスタンの軍服など
英軍軍装の影響を受けた国でよく見られる形状。
アフガニスタンの軍装も英軍の影響を僅かながら受けており、
恐らく中東や或いはトルコ軍の軍服のオマージュなのでもあると思う。
ズボンの股間部分は珍しくチャック式なのだが破損していた。

おまけの写真は、googleなどで見つけた現政権軍兵士を。




近年はウッドランド迷彩などにベレーのスタイルが中心となりつつある。  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 00:00Comments(0)TrackBack(0)イスラム圏

2008年09月19日

脱線ネタ 20年代元ハン国ソヴィエト共和国勲章

今日も今日とて非常に一般人受けしないネタである。
だが脱線したまんまでもしょうもないので、
今回でここらへんのネタは一度終わりにしときます。
そんなにネタに出来るほど持ってる訳でもないし。

今日紹介するのは20年代の中央アジアのソヴィエト政権の勲章を。
まずはじめに簡単な歴史から。

ロシア革命後、共産主義革命の影響は
ロシア本土からはるか遠方トルキスタン地域にも及んだ。
トルキスタン地域では既にイスラム教徒による改革運動や
帝政時代から続いてた反ロシア運動が展開されていた状況で、
ソヴィエト赤軍の介入とトルキスタンのソヴィエト化は
これら反発する人々の更なる反発を呼んだ。
その最中ブハラ・ホラズム・ヒヴァの三つのハン国では
共産主義者による共産主義青年革命が進行、
ソヴィエト中央政府によってそれぞれの国にソヴィエト政権が樹立された。
しかしそれに反発するイスラム教徒のゲリラ軍(所謂「バスマチ」)の襲撃や
共産主義に適応できない住民や政府官僚の逃亡が相次いだ。

このブハラとホラズムとヒヴァの
3つの元ハン国のソヴィエト共和国ついては
1924年に全て解体されそれぞれウズベク・タジク・トルクメンに吸収された。
しかしブハラはウズベク領でも実質タジク人の土地だったりして、
この問題が後のソ連崩壊後の独立時から国家間の領土問題となっているが
当然ソヴィエトの民族区画自体がかなり大雑把なのも原因の一つなのだが、
何せトルキスタンは遊牧民の土地、
モザイク上に民族がいるのでこうした問題は仕方ない。
民族モザイクと言う点ではアフガニスタンも同様である。


こちらはブハラ人民ソヴィエト共和国の「赤星勲章三級」
二級と一級は直付けのデカい勲章なのだが
三級になるとメダル式というかジェットン式?になる。
写真では赤いリボンがついているがこれは取り付け例の一例に過ぎず。
赤星勲章三級は最初からメダル本体しかないようである。
本体をそのまま付けていたり、多分チェーンのようなものを
つけたりして取り付けたりなどしてたのだと思う。
似たものでバッジ式になっている「バスマチ掃討徽章」などもある。


これはホラズム人民ソヴィエト共和国の「軍事勲章」
後に赤旗勲章が制定されるが、やはり元からは程遠いデザインである。
というかどこが共産国の勲章なのか
全然分からないデザインの気もするw


おまけ、自作のブハラ赤軍(風)軍服。

20年代初頭にはイスラム系の民族赤軍が存在していて、
ブハラ・ソヴィエトにも形式上民族赤軍部隊が存在していた。
規定上では本来は襟章にアラビア文字(というかウズベク文字というべきか)のモノグラムが入ったり
かなりすごいデザインなのだが実際の写真を見るとこんなもんである。
WBR製の日露ルバシカを染めて、更に襟パーツなどを追加したもの。
20年代はこうした帝政型改造或いはまんまの流用も良くある話。
袖が絞り式になっているともっと良いのだけどね


袖章。これも自作品。手縫いでチクチクと。
赤星と緑新月の周りの文字はブハラ赤軍の略称。
こういう物作るときに限って無駄な労力を発揮してしまうのも
これまたよくある話。

更に拾い物画像でおまけ。


ウズベク・ソヴィエトの労働赤旗勲章。


タジク・ソヴィエトの赤星勲章。  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 22:53Comments(0)TrackBack(0)ソヴィエト

2008年09月16日

脱線ネタ 20-30年代モンゴル系ソヴィエト共和国勲章・徽章

今日も今日とて一般の人置いてきぼりネタで。

今日紹介する勲章・徽章の国は「トゥバ」と「ブリヤート」である。

まずトゥバから。
そもそもトゥバという国がどこなのかというお話は
まぁウィキペディア辺りを参照していただきたいが
早い話モンゴル(外蒙古)の上に位置する
モンゴル系の文化を持った小さな遊牧民の国である。
かつて清朝の領土であったが清朝崩壊、中国の内乱と
ロシア革命の混乱によりソヴィエト領となった国で、
実はトゥバはロシア、モンゴルに続く3つめの革命国家である。

といっても実質殆ど無血革命に近かったようで
当時のトゥバ共和国について有名な本である「トゥバ紀行」によれば
仏教もシャーマニズムも共産主義も平等に混在する
かなりカオスな国であったようだ。

で、トゥバは1944年まで一応独立国であったのだが
1944年にソヴィエト連邦に併合され、ソヴィエトの自治共和国、
そしてロシア連邦の自治共和国として今日までに至る。
余談ながらソヴィエト化後、ソヴィエト主導による
モンゴル同様の近代化政策が取られたが
(文字改革など。ちなみにトゥバ人は20世紀になり
ソヴィエト化が起きるまで表記文字を持ってなかったらしい)
やはりいまいち巧くいってなかったようである。

こちらはそのトゥバ人民共和国の「共和国勲章」。
ソ連の勲章だと赤星勲章辺りに位置するのだろうか。
中央ちょっと上の紋章はトゥバ共和国の国章。
モンゴルの国章にも似た、彼らを象徴しているデザインである。
周りの赤いリボン(?)やモンゴル風の模様も
いかにもモンゴルの遊牧民らしいデザインだと思う。
これもレプリカ勲章なのだが、銀を使用しており
裏にはしっかりナンバーまで彫られている。
このクオリティで平気でレプリカを製作する
ロシアのレプリカ業者は恐ろしいが、非常にありがたい事でもある。
ちなみにこれは第1タイプのデザインで
第2タイプはレーニン勲章を意識したようなデザインに変わる。


共和国勲章第2タイプ。
画像は海外の勲章サイトより拝借。
共和国勲章の他には「労働勲章」なるものも存在していた。


これはトゥバ人民共和国代議員章のレプリカ。
こちらは30年代から40年代のタイプ。
私の保管時のミスで、旗竿部分が折れてしまったのが非常に惜しい。
「フラル」という言葉はモンゴルでも「議会」を表す言葉であるが
トゥバ語は本来トゥルク系の言葉に位置する言葉、
モンゴルからの輸入語であると思われる。
バッジ自体は長方形の旗型バッジである。


これはブリヤート自治共和国の
30年代の中央委員会・委員バッジのレプリカ。
「ブリヤート・モンゴル自治ソヴィエト共和国」時代のもの。
ブリヤートもモンゴル系住民の住む土地だが
こちらはモンゴル帝国滅亡後にロシア領となり
ロシア人によって開拓された土地である。
首都のウラン・ウデは国内戦時極東地域に作られた、
極東共和国時代には最初の首都となっている。

このバッジ、一件長方形なだけのバッジに見えるが
よく見ると旗が靡いているように若干うねりがついていて面白い。  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 23:06Comments(0)TrackBack(0)ソヴィエト

2008年09月13日

脱線ネタ 20年代共和国勲章/劣化版赤旗勲章w

本日もまたもや脱線したネタで。
勲章マニア向けですな


「赤旗勲章」といえば、ソヴィエト連邦の勲章を代表する勲章の1つであり
ソヴィエト連邦最初の勲章でもある。
1918年にロシア共和国にて制定され、後の1924年にソ連邦の勲章となった。
最初は直接服に取り付けるスクリューバック式で作られ、
1943年から帝政時代の勲章・メダルの形式を踏襲・復活させた
リボン付サスペンションによる吊り下げ型になった。一般的なソ連・ロシア勲章のスタイルである。
第二次大戦、冷戦時代を経て赤旗勲章は戦歴を残し活躍したソ連軍兵士を中心とする
沢山の人物に授与されてきたが
この赤旗勲章のバリエーションというか、
正確には20年代前後には共和国毎に制定したのまで存在していたのは意外と知られていない。

ロシア共和国で赤旗勲章が制定された後、
いくつかの自治共和国でも模して同名・同制度の赤旗勲章が制定された。
労働赤旗勲章、赤星勲章なども同様に模して制定されている場合がある。
これらが存在したのはウクライナ、ベラルーシ、
アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアなどである。
中央アジアではブハラ、ホラズム、ヒヴァなどの元ハン国にも似たようなものがあったが
これらを解体し民族区画を決定した後の
ウズベク・タジク・トルクメン共和国が成立した際にも再制定されている。
最終的に30年代頃になってこれらの自治共和国の勲章制度は皆廃止され
ソヴィエト連邦の制度に単一化されるのだが、極稀に第二次大戦の軍人でも
30年代までにそれらの勲章を授与している人物だとそのままつけている場合もある。
(ちなみにそういう人物は、その時代でそんなものつけていられるという事は
スターリンによる粛清逃れ組である事も確実なので、その人物の経歴も面白いはずである)


代表例:ブジョンヌイ将軍
ソ連邦・ロシア共和国の勲章に混じって自治共和国の勲章がついているのが分かる
恐らくウズベクの労働赤旗とアゼルバイジャンの赤旗である。

今日の日記では最近のロシアで製造されているレプリカ品で紹介する。


アゼルバイジャン赤旗勲章。
実は元の赤旗勲章に一番近いデザインなのだが、
赤旗部分や白部分のアゼリー語の文字(見ての通りアラビア文字系統の文字だが、アラビア語ではない。)や
イスラム教徒の象徴である(アゼルバイジャンの場合、
トゥルク系=トルコ人の兄弟民族 の象徴という意味も含んでいるのであろう)
赤新月が強烈なエスニック的印象を与えてくれる。そしてやたら膨れたデザインであるw
アゼルバイジャン赤旗勲章は1920年に制定され、
英軍・トルコ軍と戦闘したアゼルバイジャン赤軍・ソヴィエト赤軍軍人や協力者などに授与された。


こちらは博物館にある実物。ボロボロである。


こちらはアルメニア赤旗勲章。
レプリカの出来がよくないのが残念であるが、
アルメニア人の聖地とされるアララト山のデザインが印象的である。


こちらは博物館にある実物。
旗の文字はアルメニア文字で、私らではやっぱり全く読めないw


本家のものと上の2つを比較してみた。
本家のものがやはり一番カッコイイのは間違いないが
やはり上の2つもそれはそれで味がある良い勲章であると思う(多分
ちなみに真ん中のソ連赤旗勲章も一応レプリカである。
今や赤旗勲章も高価な勲章となり、一番上のサスペンションタイプでも
現在だと非常に出来の良いフェイクが出回っている現状である。


他にもドキツいエスニックソヴィエト勲章はコレクションがあるのだが
一気にやってしまうとネタ切れ起こすのが早くなるので、また次回に。  
タグ :勲章ソ連
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 00:03Comments(2)TrackBack(0)ソヴィエト

2008年09月10日

三日坊主/中国人民解放軍五五式 1

久しぶりの更新、つか殆ど1ヶ月やってなかったような。
まぁ私はこういう三日坊主なので、案の定といった感じである。

更新再開ついでに
CIS関係で引き続き何か載せようかと思っていたのだが
折角なので今日は全く毛色の違う中国物を紹介したいと思う。

50年代の中国人民解放軍の軍装はこの当時中国人民解放軍の目指していた、
「軍の正規軍化・近代化」の目標、その影響が色濃く出た時代の軍装であった。
人民解放軍の軍装と言うと文革~中越戦争時期の
緑色の人民服・人民帽で赤い襟章のついた65式(78式)の軍装のイメージしかないようだが、
65式以前は階級章も存在したし、65式軍服の基礎となる軍装は既に存在していた。

人民解放軍の軍装の歴史を簡単に紹介すると
50式では陸海空の軍装、兵士と幹部(指揮官)の軍装の明確化が行われ
55式では階級制度の導入、礼服・常服の明確化が行われた。
58式で肩章の廃止などが行われ、65式では階級制度自体が廃止された。
74式では海軍のセーラー服・幹部服(将校服)の復活などが行われた。
78式では基本軍装は変わらず、生地の改正が行われている。
(中田商店でよく売っていた薄地のアレは78式である)
85式では階級制度再導入の準備として兵士と幹部の明確化と
西側風にアレンジされた制帽などを導入し、
87式で階級制度の再導入となった。その後香港返還を意識してベレー帽などを導入した97式、
若干の徽章・制服の更新が行われた99式、
そして(個人的には非常に迷走していると思う)非常に西側風にアレンジされた
07式が導入され現在に至る。

当ブログではこの55式を中心に紹介していくと思われる。

55式軍服や階級章自体については後日紹介予定(と言って全然しない可能性もあるが・・・)、
今日は軍帽類を紹介する程度にしておこうと思う。

55式軍服は全体的に見ると
体裁としてはソ連軍、服の裁断などは日本軍の影響が強い軍装である。
階級章のデザインや制度などは当時の朝鮮人民軍のほうが近しいものがあるのだが、
基本的にはやはりソ連軍の影響が強かった。


55式の兵下士官用の船形帽。所謂ピロートカで、
非常にソ連軍のに似ているがやはりどこか全然違うものである。
55式導入時、兵下士官の野戦帽はこれであったが
その後の中ソ対立の影響はもとより、
鉄帽の中に被ると安定しないなどと言った生活面での問題から
子供たちに国民党軍(多分ギャリソンキャップと間違えられたのだと思う)
とまで言われるようなことが多数あったらしく58年型では解放帽(一般で言う人民帽)型に戻ってしまう。


1955年のパレード映像より。


58年型の解放帽。
解放帽といえば皆が人民解放軍を意識するように、
結局人民解放軍のイメージの一つとして定着している。
58式では基本的に兵下士官だけでなく将校、将官も基本は解放帽を被ることになっている。
(導入初期だと制帽を被っている写真も数多く見られるが。)
50年代のものはあまり緑色をしたものは少なく、むしろカーキ色系統が多い。
そして中田などで見る78式のものとの決定的な違いは鍔の製法で、
厚い芯をいれずにミシンのジグザグ縫いが入れられている点が特徴的である。
ごく稀に日本の軍装品屋でも見かけるので、
見つけた場合は購入しておくと特だと思う。(個人的な主観による)


こちらは58式解放帽の高級品で、佐官や将官向けのものである。
緑色が強い生地で、60年代の生産品。


55式の尉官用制帽。
軍服自体もそうなのだが、階級のクラスによって生地の色も若干異なるのが特徴的である。


55式の佐官用制帽。
余談だが55式軍服、非常に朝鮮人民軍の軍装に酷似しているのだが
北朝鮮も中国の55式・58式軍服には相当の影響を受けているようで、
むしろ北朝鮮が真似した軍装であるので元々は中国のほうが先である(謎
ちなみに北ベトナムにも55式は供与品として送られているので、
早期の北ベトナム軍の将校には55式軍服や軍帽を被っている写真も見られ、
北ベトナムの軍装も55式・58式の影響が非常に強い軍装である。
周辺諸国にも影響を与えているという点でも、55式は非常に興味深い。


おまけの55式将官制帽。
実はこれだけは現代に作られた舞台衣装の軍帽で、
やはり細かい所を見ると現代のパーツ・作りである。
顎紐とボタンは私が追加したもので、要するに将官制帽が欲しかっただけなのである(爆

まぁ、気が向いたらまた更新をしようと思います。
おまけは中華つべことyoukuより、中国の1955年の閲兵式と1959年の閲兵式の映像を。

http://v.youku.com/v_show/id_XNjY1OTI2OA==.html
http://v.youku.com/v_show/id_XNjY2MDMwNA==.html  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 22:39Comments(0)TrackBack(0)中国

2008年08月09日

肩章/グルジア

世間では北京五輪がテロもなく、
無事に開会式を出来、開催されたことで喜びに包まれつつあるが(?)
一方南オセチアを巡ってロシアとグルジアの間で
戦闘がはじまり、カフカス情勢が一気に緊迫している。

とまぁ半分ぐらい時事ネタで。
でも実はグルジア軍はあまりコレクションがないので
今回のぐらいしか紹介できないかと思うが・・・



今日紹介するのはグルジア軍の独立直後の少将肩章(常勤シャツ用)である。
実は歩兵の兵科章のデザインではじめてグルジア軍だと判明したもので
星章にこのタイプの星を用いる軍隊は他にも
ウズベキスタン軍、アゼルバイジャン軍があるので
当初はそれらの何れかだろうと思ったのだが、兵科章の資料から
グルジア軍のものであることが判明した。

肩章に詳しくない人にとってはただの肩章にしか見えないだろうが、
ソ連軍のM69肩章を色々見たことある人ならば一発でおわかりであろう。

実はこれソ連時代の准尉級の肩章に
手刺繍で星章を刺繍し少将肩章にしている
かなり強引なものなのである。
本来ソ連軍・ロシア軍では
将官用の肩章は何れもジグザグ模様が下に入ったものなのだが、
この千鳥模様のような模様は明らかに准尉用である。
しかも刺繍がかなり下手糞・・・ヘタしたら個人で製作したものかもしれない。


独立直後のこういったソ連時代と新時代の混ざった物品も大変面白いので、
今後色々な国のを紹介したいと思います。  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 02:24Comments(0)TrackBack(0)CIS

2008年08月07日

肩章/カザフスタン

例によって三日坊主な私なのですっかり更新をサボっていた上に
やっとの更新が、多分この辺りのブログ見ている人的には
最も興味なさそうな制服用の肩章である。

カザフスタン軍の肩章は1990年代後半に
ソ連軍時代と全く同型から現在のタイプに変更になり
2003年に若干のデザイン規定が改正されている。
(2003年改正では兵下士官の肩章のラインが
直線タイプからロシア軍型の金属製山形に変更になっている)

野戦用の場合はスリップオンの迷彩エポレットタイプで
それこそ殆どロシア軍のとあまり変わりがないが
(将校級は下のラインで尉官/佐官を区別する違いがあるが)
礼装用・常勤用の肩章にはカザフ人の民族模様が取り入れられ
とてもエスニックな雰囲気・デザインのものとなっている。



左から内務省軍の曹長(旧タイプ・常勤用)、国境警備隊の大尉(礼装用)、
空軍の大佐(礼装用シャツ用?)である。
兵科章や星章はロシア軍94年型とほとんど同じであるが、
共和国親衛隊などの特殊兵科の場合と一部兵科は兵科章が独自である。


曹長肩章。
裏の肩章止めが面白い作りをしていてボタンが裏に縫い付けられており、
そこに足の先の穴を通し固定する独特の形式になっている。
ソ連軍やロシア軍の肩章ではボタンの足から針金や紐などで
服のほうの穴に通して直接固定するのが一般的なのだが、
これの場合ではかなり楽チンな構造になっている。
またボタンがカザフスタン共和国国章ではなく
ソ連軍のボタンの鎌トンカチだけを除いたようなボタンになっている。
(ソ連時代にも海外の傀儡・協力勢力輸出用にそういったボタンが存在していた)
同時に手に入れた兵下士官制帽(そのうち紹介)でも同じボタンだったので、
恐らくは兵下士官は規定上ではこのボタンなのであろう。


国境警備隊大尉。
こちらは足などはついておらず、直接服に縫い付けるもの。


空軍の大佐。
こちらは足がついている。よくあるソ連・ロシア式の留め方。
礼装用のシャツ用だと思うのだが規定上にそういうものがあったかどうか不明で
そもそも空軍でなく共和国親衛隊の肩章かもしれない。
共和国親衛隊も水色(青色?)が兵科色なので。

ちなみにカザフスタン軍の共和国親衛隊は
どうもソ連時代の所謂親衛部隊というのと異なって
明らかに共和国軍と別組織という扱いになっているようである。
ここらへんに関してはまた今後。  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 21:50Comments(0)TrackBack(0)CIS

2008年07月28日

トルクメニスタンのパッチ

今日も今日とて需要なさそうな国をば。

トルクメニスタンといえば近年まで
中央アジアの北朝鮮と呼ばれるような独裁国家と言われていた国で、
大統領のサパルムラト・ニヤゾフことトルクメンバシが逝去するまで
色々とネタ的においしい国だったので色々集めていたのだけど…


もうトルクメンバシいないしなぁ。
ってそれはともかく。

トルクメニスタンも独立後、元ソ連軍トルキスタン軍管区の部隊から
トルクメニスタン共和国軍を創設した。
軍装はやっぱりCISではありがちなロシア軍基本スタイルなのだが
何せトルクメンは永世中立国家、
迷彩服などはかなり節操の無いことになっているので
そこらへんの写真なども後日また特集したい。

今日はトルクメニスタンのパッチ数種類を紹介。


この2枚は共和国軍のパッチ。
実は四種類ぐらいあるのだが一種類は行方不明、
もう一種類は後日掲載予定のトルクメニスタン軍制服に使っているので撮影してない。
パッチはどれもロシア製ではないもので、
恐らくトルコ製かトルクメニスタン国内製と思われる。
ロシア製のビニールプリントのものも存在する。
よく見なくても分かる通り、国旗の中の国章が異なっており
トルクメニスタン国章も数回の改正が行われていて
その関係でパッチのほうも訂正されている、という訳で…
つっても現場ではここらへんゴッチャなんだろうけどさ


この3枚は左のが国境警備隊、あとは警察。
警察のパッチは右のがロシア製のビニールプリントタイプ。
この段階でなんとなく鋭い人はお気づきかもしれないが
どうもトルクメン、軍・警察・国境警備隊全て兵科色が緑色で統一されているらしく
パッチもみんな緑一色である。空軍はやっぱりスカイブルーのようだけど。


これはちょっと面白いのでロシア軍のものと比較。
ロシア軍の2001年以降の兵科パッチ(うろ覚え)との比較、
左のはトルクメン空軍の通信兵科の兵科パッチ。
デザインはほぼロシアと同じで文字と作りが違うぐらいの差しかない。
なんだかんだでロシア軍に準じたパッチ制定しているのも
結構トルクメンの謎具合を更に増さしてくれる要素だと思う(ぉ

と、今日も今日とて初心者お断りで説明不足な内容で終わるのであった  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 00:56Comments(3)TrackBack(0)CIS

2008年07月25日

アルメニア軍/カラバフ軍のパッチ

今日紹介するのはアルメニア軍及びカラバフ軍のパッチ。
いきなり濃いところからですが、
多分このブログはずっとこんな感じだと思いますw


アルメニアはザカフカス(トランスコーカサス)に位置する国で、
アゼルバイジャン、グルジアと共に独立した国の一つ。

パッチはアルメニア語でアルメニアを示す
「ハヤスタン」と国名が入り、
下にはアルメニア語で国軍と入っている。
パッチの形式としてはロシア軍の1994年以降の
国防軍のパッチとほぼ同じフォーマットで
CIS諸国ではほぼ決まったデザインとなっている。
パッチ自体もロシア製と思われる。



ちょっとだけ拾い物のアルメニア軍写真も貼っておきます。
アルメニア軍軍装に関しても
そのうち詳しく紹介したいと思います。

アルメニアといえば、隣国アゼルバイジャンと
激しい対立をしていることで有名。
その対立の代表的部分といえば、ナゴルノ=カラバフ。

簡単に説明すると
ナゴルノ=カラバフは現在においても
アルメニアとアゼルバイジャンの間で紛争状態となっている地域で
元々は旧ソ連時代の国境区画確定時の
ソ連中央の決定によってアゼルバイジャン領となった地域だったが
実際に住んでいた住民の殆どはアルメニア人。
これがソ連崩壊直後から両国の間で表面化した問題となり、
大量の難民の流出、住民虐殺などの悲惨な戦争となった。

カラバフ紛争後、ナゴルノ=カラバフには
アルメニアによる独立(傀儡)政府と政府軍が作られた。
つっても実質アルメニア軍であるのだが。

右にあるのがカラバフ軍のパッチで、
アルメニア軍のパッチと比べると
国名と旗が若干異なるのが分かる。
この旗はナゴルノ=カラバフの旗である。
国名はナゴルノ=カラバフ共和国の略称らしい。

ちなみにこのアルメニアによるナゴルノ=カラバフ政府は
国際的には未承認の国家で、
カフカスには他にもアブハジアとチェチェン、
南オセチアなどに独立勢力・未承認政府が存在する。

おまけようつべ。

アルメニア側のPV
http://www.youtube.com/watch?v=M0WNWuGpN4E
http://www.youtube.com/watch?v=M1HGwneEUTM

アゼルバイジャン側のPV
http://www.youtube.com/watch?v=IUOZnjxMqPM
http://www.youtube.com/watch?v=qxnbnFyOpxI  
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 00:23Comments(1)TrackBack(0)CIS

2008年07月24日

はじめに

皆様はじめまして。
某所などで知っている方も多いと思います。
ここではokabaevというエセ中央アジア名を名乗っておきますw
ここでブログとかやるのははじめてですが、宜しくお願い致します。

このブログでは主に
・ソ連崩壊後のCIS圏軍装品
・モンゴル国軍、旧モンゴル人民軍の軍装品
・中国人民解放軍の軍装品

の研究成果、収蔵品の自慢、
見つけた画像で紹介なんかしていく予定です。
毎日更新はできるかどうかわかりませんが
時々、気が向いたら取り上げていきたいと思ってます。


これはCIS圏のパッチ類です。
偏ったコレクションですがw

よろしくおねがいします。  
タグ :旧ソ連
Posted by Mohamedzhan-A-Okabaev at 03:02Comments(0)TrackBack(0)雑記